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About

4月1日☆ 沢山の出逢いと、沢山の感情と、沢山の笑いと、沢山の愛に包まれて、それ

Name : Ai Watanabe

Date of Birth : 1973.10.24

Blood Type : O

Place of Birth : Yokohama / Fukuoka

渡辺葵衣  Ai Watanabe

 

シンガーソングライター

 

横浜生まれ、福岡(北九州)育ちのシンガー兼作詞作曲家。幼少時(小学校高学年~中学校にかけて)の3年間をMEXICOにて過ごす。この頃に自然と養われた、感情と現実の交差点に位置するような感覚が現在の葵衣の根底にある。

 

 

≪幼少時代≫

子供の頃から歌を歌うことが大好きで、読書以上に岸田今日子さんのお話テープを好んで 聴いていたこともあり音に対しての興味は深かった。

ただ父親の仕事上、転校の回数が多かったこともあり、その後の学生時代における部活動やサークルは腰かけ程度、目立って音楽活動にも目覚めていない。

 

≪学生時代から社会人へ≫

普通の子という枠にあり、高校、大学へと進む中、どこかで歌への憧れやアナウサーという語るお仕事への興味は捨てきれずにいた。

が、それは心の中にとどめられていたものであり行動にはいたらず。

福岡から上京して関東の大学への進学したいと望んだのも、ラグジュアリーホテルでサービスをしたいという、今考えれば2番手の夢を叶えるため。     入学以降4年間それだけを目標に大学生活を送ることになる。

 

≪企業人として≫

就職のためだけを考えた大学生活を突き通した甲斐あり、念願のホテル業への就職の夢を果たし、ホテルウーマンとしてフロントカウンターに立つところからはじめて約10年、ホテル業界でのいろいろな業務を経験した。

その後、1年半ほどホテル業から離れ鉄道サービスも経験したが、自身の仕事への満足度はホテルにあると感じ、現在のホテルにてセールス&マーケティングの仕事に至る。

 

≪音楽業界への入り口≫

音楽活動の一番のきっかけといえることは、2008年に友人から紹介されいわゆる「歌の教室」に通い始めたこと。

このスクールは、それまで聴いたことも無くもちろん歌うことなどなかったR&Bに特化したスクールだった。それが私自身に、ブルーノートの音階の心地よさ、感情溢れるブラックミュージックの力強さと研ぎ澄まされたリズムの存在を知らしめたのだとゆうことはゆうまでもない。

その環境であったからこそ、当時からR&Bの魅力に取り憑かれていた歌い手Myuと出逢い、彼女とツインボーカルユニットNoonMooon(ヌーンムーン)を結成しヴォーカリストNoiとして本格的な音楽活動が始まったのだといえる。

 二人で一緒にレッスンし歌っていく中で、自身のオリジナル曲を制作し世に出していきたいという願望があることに気付きつつも、カバー曲を練習する日々が続いていた。

 

≪才能という名の可能性との出逢い≫

2012年秋、一人の音楽家と巡り逢えたこと。

これは現在の渡辺葵衣というアーティストが存在することに不可欠であったと言い切れるほどの「必然の出逢い」だった。

言葉を選び感情を文章にすることはやぶさかでなかったとはいえ、自分でメロディを生み出すなど出来るかどうかと思う前にどうゆうことなのか方法も手段も知らない。加えて楽器演奏経験もない。そんな私が作詞作曲し、それらにコーラスワークの装飾をほどこして歌うことを、1年半たらずで出来るようになるとは思ってもいなかった。

「オリジナル曲は書いてもらうもの」そんな考えでしかいなかった私にとって、

何がそんなに衝撃だったのか。それは一人の音楽家の奏でるピアノの音色、その旋律、そして彼のもつ才能以外のなにものでもなかった。

 

≪楽曲制作を通しての渡辺葵衣の確立≫

NoonMooonのヴォーカリストNoiとして楽曲を制作しステージに立ちながらも、何かしら自分の感情が動くのを見過ごすことはできず、やりなおして、模索して、そしてまた生み出して、を繰り返していた。 

2014年8月。

渡辺葵衣としてのオリジナル曲がうまれる。

その曲にほどこされたアレンジを聴きいた時、本当に好きだ!と思える曲が出来たと全身で感じた。

その瞬間から、シンガーソングライターとしての渡辺葵衣が始まった。

 

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